
恐山は青森県下北半島の山中にある。
そこに行くためには昔ならば険しい山道を登っていかなければならない。山道を登り切り恐山内に入ると目の前に宇曽利湖という大きな湖が現れる。この湖から津軽海峡に向かって一本の川が流れている。
古い地図には生死川(しょうじかわ)と表記されており、その名の通り、この川を渡る前がこの世の世界で川を渡ってしまえばあの世の世界と言う意味である。
川を渡る太鼓橋の脇には、この世でどんな罪を犯したか、亡くなった人の着ている衣を柳の枝にかける奪衣婆の仏像が安置されていた。衣の重さにはその人の業があらわれる。柳の枝がぐーとしなれば生前に悪業を犯し、しならなければ善業を積んでいたことになる。その重さによって死後の処遇が決められる。
平安時代初期に宇曽利湖に大雨が降り、湖の水かさが増し生死川が氾濫をした。奪衣婆の仏像も流され三里(約十二キロ)ほど下流に下った正津川(しょうづかわ)に流れ着いた。それが三度続き四度目には村人が川の脇にお堂を建てて奪衣婆の仏像を祀ったのが優婆寺の始まりである。奪衣婆は優婆夷(うばい・仏教における女性の在家信者)である。その優婆夷を村人達は尊敬の意味をこめて優婆尊者と呼び、家内安全・災難消除を願った。
もともとは恐山の入り口、生死川に安置されていた仏像を祀っていることから優婆寺を恐山門戸と呼ぶようになり、恐山に行く前に優婆尊者に手を合わせ禊ぎを済まし、流された川沿いの山道(日本の山岳古道120選・恐山古道正津川口ルート)を登り恐山にお参りをするようになった。
(日本の山岳古道120選・恐山古道正津川口ルートは、土砂崩れのため車は通れません R7・9・1現在)