善業をおこなえばよい報いを得、悪業をおこなえば悪い報いが返ってくる
情けは人のためならず巡り巡っておのがためという言葉がある。多くの人は前半の情けは人のためならずという部分だけを切り取って、人に情けをかけてはいけない厳しく接しなさいとその意味を読み間違えている。人にかけた情けはその人を救うだけではなく、いつかは巡り巡って自分に返ってくるのだから人に情けをかけて助けてあげなさい。という解釈がこのことわざ本来の意味である。
ある人が満員電車に座っている。ふと気づくと目の前にお腹の大きな妊婦さんが立っていたので、その妊婦さんを気遣い『どうぞここにおかけください』と席を譲ってあげた。二十年後、足腰が弱くなったその人は満員電車に乗り、若者が座っている席の前に立つと、若者と目が合い『どうぞここにおかけください』と席を譲られる。実はこの若者は二十年前に自分が席を譲った妊婦さんのお腹の中にいた子どもだった。
相手のことを思い、かけた情けが巡り巡って自分に返ってきた瞬間だ。仏教の教えには偶然がない。すべてが必然だ。善業をおこなえばよい報いを得、悪業を犯せば悪い報いが返ってくる。悪業とは自分の都合のよいフィルターを通しておこなった行為。
相手が気にいらず殴りかかった。言われたことに腹がたって罵声を浴びせた。お金が欲しくて盗んだ。おこなった行為は魂に刻み込まれいつかその報いを受ける。自分が生きているときに報いを受けなかったとしてもその悪業の報いは来世に引き継がれる。
善業とは相手のことを思いおこなった行為。妊婦さんを気遣って席を譲る。落ち込んでいる人に優しい言葉をかけてあげる。おこなった行為は魂に刻み込まれよい報いの種は来世に引き継がれる。
行為をおこなう思いが相手に向いているのか自分に向いているのかが善業と悪業の分かれ道。
仏教徒の最も尊い善業はさとりを開いた仏様に手を合わせること。駆け引きのない合掌。すべてを仏様にお預けする合掌。その一つひとつの積んだ功徳がよい報いとして自分自身そしてやはり来世に引き継がれる。
積んだ功徳は、亡くなった故人に振り向けることもできる。これが回向の意味である。